藤原ヒロシ(ふじわらひろし)
マニアックな読書家でレコード愛好家で音楽ナード。好きなモノだけにこだわって日々生活する64年生まれの“革命児"、それが藤原ヒロシだ。音楽プロデューサーにしてアーティスト、そして裏原宿系ファッションのカリスマとしても知られる。専門学校進学のため上京したものの、同学校を3週間で退学。ワールズエンドに身を包み、夜な夜なツバキハウス/玉椿/クライマックスといった(今や伝説の)ディスコに出没していた彼は、ツバキハウスで催されていた『ロンドン・ナイト』のファッション・コンテストで優勝。副賞としてロンドン行きのチケットを獲得、本場のクラブ・シーンを目の当たりにすることになる。またその後に渡ったN.Y.では、本場のヒップホップも体験。--そして帰国後、現在のクラブ文化の先駆けともいえる、ライズ・バーやピテカントロプスにて本場仕込みのDJプレイを繰り広げた。84年に『スネークマン・ショウ』(ボックス・セット)のボーナス7インチにDJとして参加、それが日本初のメガ・ミックス・レコードになる。86年には、いとうせいこうのアルバム用ラップ・ユニット、いとうせいこう&TINNIE PUNKS(藤原ヒロシ&高木完)を結成(ちなみに、当時この3人が生み出した、アディダス・ジャージ+ボンデッジ・パンツ+カンゴール・ハット+ヒモなしのアディダス・スーパースターという、ヒップホップとパンクをミックスしたファッションは画期的だった)。翌87年、TINNIE PUNKSとしてビースティー・ボーイズ・タイプのオールドスクール・ナンバー「I LUV GOT THE GROOVE」、さらにスペルをTINY PANXに変更して、ファンボーイ3のカヴァー「FAITH,HOPE&CHARITY」などをリリース。その翌年には、ヒロシ自身も創設者のひとりとなった日本初のクラブ・サウンド・レーベル<メジャー・ホース>より「LAST ORGY」を発表。以降も同レーベルより自身名義&その他で、ラップ/ハウス/アンビエント/ダブといった作品リリースを重ねていった。90年代に入るといとうせいこうとのユニット=SUBLIMINAL CALM、TOKYO NO.1 SOUL SETの川辺ヒロシとのユニット=HIROSHI II HIROSHI、宮崎泉(DUB MASTER X)とのユニット=LuvMasterXなどでの活動と並行して、小泉今日子/藤井フミヤ/UAなどのプロデュースも展開、音楽プロデューサーとしての手腕も遺憾なく発揮した。そして94年には、満を持しての初ソロ・アルバム『NOTHING MUCH BETTER TO DO』をロンドンでレコーディング。メロウでアコースティックなサウンドに、ネナ・チェリー/テリー・ホール/キャッシー・スレッジら錚々たる名シンガーたちをフィーチャーしたその処女作は、ヒロシが歩んできた足跡からは意外ともいえるほどジェントルな魅力に溢れるスタンダード・チューンで貫かれていた。さらに『HIROSHI FUJIWARA in DUB CONFERENCE』を95年に、『“ユーリ"オリジナル・サウンドトラック』を96年に、ソロ作をコンスタントに発表していった。--以上、ザッと履歴を記してきたが、これらは彼の活動のいち部分でしかない。といえば、いかに藤原ヒロシという人間が多才で多芸で、しかも常に新しい動きを音楽シーン(及びカルチャー・シーンそのもの)にもたらしてきたかを分かっていただけるだろう。今後、彼の歴史はまだまだ広がっていく。
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